カルト被害相談窓口 心の相談室りんどうのブログ

 

マインドコントロール〜事例

 

マインドコントロールの手法は、それぞれの教団や団体でやり方に多少の差はありますが、ここではある架空の教団を用いてその手法について解説していきます

 

ある教団の例
注 複数の事例を合成した架空の事例です。

 

勧誘の段階

 

高校生のA君にある日、久しぶりに中学の同級生から電話がかかってきます。

 

「久しぶりだね、会って話をしてみない?凄い話があるんだ」

 

卒業以来ほとんど音信がなかったのに突然の誘いの電話。いぶかしく思いながらも懐かしさが手伝って出かけてみることにしました。

 

 

 

待ち合わせの場所のファミレスに行ってみると誘ってきた中学時代の同級生のほかにもうひとり、ひとまわり年上の男がいました。
「なんだろう」と不審に思いましたが、久びりに再会する同級生の手前、話をきいてみることにしました。

 

いきなり席を立ち帰ってしまうことはマナーに反するし、久し振りに再会する同級生に悪いという気持ちもあったのです。

 

「私たちの教学を信じていれば、自分を変えていける。人生を変えられる」

 

「我々の教団に入信すれば、功徳がある。」

 

もともと、気の弱い自分の性格を変えてみたいと思ってはいました。人に対してはっきり意見も言えて、人前でも堂々とふるまえるようになりたいとも思っていました。そんなA君にとって「この仏法を信じていれば自分を変えていける。人生を変えられる」という勧誘トークがちょっとだけ心を動かされてしまいました。

 

ほんとうかどうか半信半疑でしたが、二人があまりにも真剣でなかなか話が終わりそうにないし、二人の熱意に押される形で「入信届」に署名してしまいました。

 

解説 
最初の勧誘は、「久しぶりにお茶でもしようよ」とか、「面白いサークルがあるよ」とか言った具合に組織の本当の姿や勧誘という目的を隠して行われます。

 

そのときあなたの側に「仲のよい友達が薦めてくれるのだから」とか「いきなり席を立って帰るのは失礼だ」という気持ちがあるのなら、こうした勧誘に引っかかりやすくなります。

 

参考  大学での宗教勧誘〜カルト宗教の勧誘テクニック

 

 

     カルト宗教の勧誘テクニック2〜生きる意味を教えます

 

行動のコントロール

 

この教団にとって大事なことはふたつあります。ひとつは朝と晩に念仏を唱えること。

 

もうひとつは自分の教団に勧誘することです。

 

A君は半信半疑で、朝と晩に念仏を唱えはじめました。「そんなうまい話しがあるものか」と思っていたのですが、「本当に何かいいことがあるといいな」と思う気持ちもありました。

 

実は少しだけ「功徳」を期待する気持ちもあったのです。

 

「教団のいうとおり、「功徳」があるのであれば教団のいうことも本当だと信じられる。、教団のいうことが本当であれば、『自分を変えていける。人生を変えられる』という話も本当ということになるよなあ。」

 

A君はちょっとわくわくしながら、一日を過ごすようになりました。

 

教団に入信して2日目、通学の途中のできごとです。狭い路地を歩いていて、ちょうど十字路のところにさしかかったとき、足元に千円札が落ちていました。腰をかがめて拾い上げたとき、目の前の十字路を猛スピードで横切る暴走バイクが目に入りました。

 

「もしも今、千円札をひろうためにたちどまらないで十字路にはいっていたら、暴走バイクにはねられていたかもしれない」

 

そう思うと背中が寒くなりました。同時にあやうく難を逃れたことで「実はこれが功徳ではないか」と思いました。

 

この話を教団のメンバーに話すと、「それが功徳だ」と皆に言われました。「無事で良かった」「朝晩念仏を唱えているから、功徳の力が働いているんだ」と皆にいわれると、「本当にそうだな」という気にもなりましたし、何よりもみんなに「よかったね」と声をかけられるのは嬉しかったのです。

 

 

翌日から、自分でも勧誘をはじめました。小学校、中学校、高校の同級生で連絡先がわかる人たちに電話をかけはじめました。

 

いざ、電話をかけてみると、みな思いのほか反応してくれることに気がつきました。今度会う約束も案外ととれます。今までの引っ込み思案で自信のなかった自分でもやってみれば、それなりにうまくやれるということにも気づくことができました。

 

会うことができた友達と話すときは先輩が同行してくれて、話に詰まると隣から助け舟を出してくれます。「立て板に水」のように威厳をもって話をする先輩の姿はとてもかっこよく見えました。その日はうまくいかず、友達は帰ってしまったのですが、あとで先輩は「話方のコツ」とか「話すときの姿勢」などを丁寧に教えてくれました。

 

 

「勧誘って面白い」

 

勧誘が終わったあと、何か「新しい自分」に出会えたようですがすがしい気持ちになれたのです。

 

解説

 

メンバーを操作しようとする場合、メンバーの行動をコントロールすることが行われます。

 

勧誘や資金集めなど、教団の活動に従事させるのですが、メンバーを休む間もなく活動に従事させることにより、自分の行動を振り返らせたり、疑問を持たせる余裕をなくしたりさせるのです。

 

また一日のうち決まった時間に念仏を唱えさせる、お祈りをさせる、瞑想をさせるということもよく行なわれます。

 

また、カルトの活動は、やってみると案外面白さを感じる場面もあるのです。

 

勧誘をするのに、教団メンバーの皆で知恵をしぼりあったり、チームプレイで説得をしてみたり・・・こうした「仲間意識」はメンバーにとってとても大切なものになりえます。

 

「今まで一緒に苦労を共にしてきた教団の仲間を裏切りたくない」という気持ちが脱会するときの大きな足かせになることがあります。

 

感情のコントロール

 

この教団では、毎週土曜日に大きな集会があります。

 

神奈川県郊外の数千人収容できるコンサートホールを借り切って、関東近県からも多くの信者が集まってくるのです。
A君も先輩に連れられてはじめて参加することにしました。

 

まず、会場に集まってきた人の人数におどろきました。大きな集団の中にいるだけで、なにか身が引き締まってくるような気します。

 

壇上では、教団の代表者が「日本の危機を救えるのは、君たちしかいない」と語られています。そのたびごとに会場が割れんばかりの拍手に包まれます。

 

大きな拍手の音に包まれていると、なぜかものすごく心が高揚してくるのを感じます。こうした心の高揚はしばらく感じたことのないものでしたし、とても心地よく爽快に感じました。

 

この教団の中にいることで、「選ばれた自分」であることにも優越感を感じることができました。

 

 

ただ、怖い思いも体験しました。

 

話の途中で、東日本大震災の被害の様子が報告されていたのですが、それがとてもリアルなものだったのです。
亡くなられた方のご遺体の損傷の様子や建物の損壊の様子が克明に語られ、そのイメージはとても恐ろしく、心に響くことになりました。

 

「私たちの宗教を信じていなければ地獄に堕ちる。教団をやめたりしたら地獄に堕ちる。」

 

「私たちの宗教を信じていない日本は滅びる」

 

こんな話をきいていると、さっき聞かされた震災の惨状のイメージが重なり合ってくるのを感じました。「地獄に堕ちる」とか「日本が滅びる」という話がとても生々しくリアルなものに感じられてきたのです。

 

「私たちこそが日本を救える教団なのだ。明日からまた勧誘を頑張ろう!」

 

最後にまた演説があり、万雷の拍手。

 

 

大きな高揚感と同時に恐怖感、ジェットコースターのように大きく揺れ動く感情。はじめて参加したA君にとって、大きく感情を揺さぶられた一日でした。

 

解説

 

かなり常識からはずれた事でも、自分以外の大勢の人間が同じことを言っていると、周囲の人間が言っていることが正しく感じてくるものです。

 

また大人数のなかにいると、ある種の高揚感を感じるものですし、それは甘美で離れがたい魅力となることがあります。

 

日常生活の中では感じることができない「感動の体験」をカルトの集団の中では体験できるのです。

 

この例では、「恐怖心」もまた強烈に感じています。

 

実際の事故や事件などの衝撃的な映像が使われることもありますが、「怖い体験談」も話し手の技量しだいで「強聞き手に烈な恐怖のイメージ」を与えることが可能なのです。

 

こうした「恐怖のイメージ」は思いのほか強力に人の心に作用しますし、また根深く残ります。

 

思考のコントロール

 

集会に参加したあと、A君は教団の教えについての勉強をはじめました。

 

いろいろと難しい宗教用語や特殊な言葉がたくさんでてきましたが、まずは意味を考えずに暗記することにしました。
教団の指導者は「意味を調べたり、考えたりするよりも、まずは信じることのほうが大切。朝と晩に念仏を読み、勧誘を続けていれば功徳がある。」と言われていたこともあり、自分の行動を顧みることもなく、教団での活動を続けていました。

 

ある日、朝お経を唱えるのを忘れて学校へ行ったことがありました。
その日、通学のためのバスが事故渋滞で遅れ、学校に遅刻し先生にこっぴどく怒られてしまいました。「バスが遅れたんです。」と説明しても信じてはもらえませんでした。
そんな体験をしたあと、ふと頭をよぎります。

 

「朝、お経を唱えなかったので罰があたったのだ」

 

教団の仲間に話をしてみると、みながみな「罰があたったのだ」と言います。

 

 

そんなできごとのあと、教団の勉強を続けていると、なんだか教団の教学が本当に正しいものだと思えるようになってきました。

 

解説

 

A君のように「行動」をコントロールされ「感情」を激しく揺さぶられるようにあると、「行動」と「感情」によりよく適合するために「思考のプロセス」も変容していきます。

 

人は「言動」と「行動」が一致しない状況では不快感を覚えます。本当は嫌いな人をほめてみたり、嫌いな人に奉仕していると人は大きなストレスを感じます。こうしたストレスを減少するためには無意識のうちに「言動」と「行動」を一致させるようにするしかありません。「嫌いな人」をほめるのが嫌であれば「嫌いな人」をほめることをやめるしかないのです。

 

ところが、嫌いな人をほめることをやめられない場合、「嫌いな人を好きになる」ことで「言行不一致」の状態から抜け出そうとすることがあります。

 

A君の場合、「行動面」も「感情」も教団に対して好意的なわけですから、「思考のプロセス」も教団の教えに沿ったものに変容していきます。

 

また、教義を学ぶ場面では、一般社会では使われない「特殊な用語」がたくさん出てきます。限られた仲間の中で、身内の仲間にしかわからない特殊な言葉でのみ会話を行っていると、思考の幅が狭められ、自分自身の言動を振り返ってみたり、教団に対し批判的な目をむけることが難しくなります。

 

なにか異を唱えようとしたり、疑問を持ったとしても、周囲の多数の人間が教団よりの会話をしているのであれば、「自分のほうが間違っているのではないか」という思いに捉われてしまいがちです。

 

情報のコントロール

 

教団の指導者からは、「教団を批判する文章を読んだり、教団を批判するネットを観たりすると罰があたるから見ないように!」という指導をうけていました。
このあいだ「罰があたった」ばかりなので本当のことのように思いました。

 

また、「家族や友人たちに魔が入る。君の教団での活動を邪魔するようになる」との指導をうけました。
本当だろうかと思ったのですが、ある日家に帰ると両親が遅い時間にもかかわらず待っていました。教団について問いただされ、やめるように説得され、拒否すると両親との間で激しい口論になりました。

 

 

「ああやっぱり両親に魔が入ったのだ。教団の指導者が言っていたことは本当なのだ」

 

A君は教団に対する信心をより一層強めていきました。

 

解説

 

自分の言動を振り返って考えたりするためには、いろいろな情報にふれ、考えてみることが不可欠です。しかしマインドコントロールがこの段階になると、「教団に対うる批判」を自ら選別し、受けつけなくなってしまいます。

 

ひとつは、「教団を批判する文章を読んだり、批判するネットを見たりすると罰があたる」といった教団からの脅しによるものです。

 

友人といえるものが教団メンバーに限られてしまって、多様な価値観に触れたり、自分を諫めてくれる友人が離れて行ってしまうということもあるでしょう。

 

また、教団での活動があまりにも忙しく、家でテレビを見たり、新聞を読んだりすることが難しいということもあるでしょう。

 

また、自らの意思で教団に対する批判文章や批判する情報から遠ざかってしまうケースも多いものです。

 

教団の仲間が大切であり、教学が大事なものであえば、それを破壊してしまうような情報を無意識により排除してしまうのです。

 

参考  功徳と罰

 

教団によるひそかな心理操作と、入信者本人の無意識の中の欲求、このふたつの歯車ががっちりと噛み合い、回り始めるとマインドコントロールはより強力に作動をはじめます。

 

本人があらかじめ持っていた欲求や不安を増幅させ、それをひそかに操作する技術がマインドコントロールなのです。

 

ではこのような状態にあるカルトメンバーと心を通じ合わせるにはどうすればいいのでしょう。

 

コミュニケーションや説得の手法はカルトメンバー脱会へのプロセスと説得手法を参考にしてください